少し遅くなってしまいましたが、春の高校野球選抜甲子園大会で話題になった選抜野球大会に関しての記事です。
この大会はこれまでの大会とは異なる注目があった。
その注目は2022年1月28日(金)に今大会の大会出場校が出場校選考委員会によって発表されたときのことである。
選抜校の中には、順当に選ばれると思われていた昨秋の東海大会準優勝校である聖隷クリストファー高校(静岡)の名前がなく、選抜方法について波乱を呼んだのである。
この問題はSNSを中心に騒動となり、同校の出場を嘆願する署名活動が行われるに至った。
この出来事がなぜここまで大きな話題となったのか、何が問題だったのか、本記事では、選抜甲子園の開催経緯を踏まえてこの問題について考えていきたい。
ただ、最初に言っておかなければならないのは、選ばれた大垣日大高校(岐阜)を非難したり、選ばれなかった聖隷クリストファー高校を擁護したりせず、客観的にこの問題について考察することが本記事の目的であるということである。
そもそも甲子園とは何なのか?
春の選抜甲子園、夏の甲子園はともに日本の国民的行事としてテレビやラジオで毎試合放送され、その試合結果は毎試合ニュースに取り上げられる。
それぞれの時期に当たり前に行われている両大会だが、それらが開催された経緯はあまり語られない。それは100年という長い歴史を持っているからかもしれない。
夏の甲子園大会は、1915年に大阪朝日新聞社が主催した全国中等学校優勝野球大会に端を発し、選抜甲子園は1924年に大阪毎日新聞社が全国選抜中等学校野球大会を実施したことが始まりである。
これが日本の高校野球の本格的な始まりである。
大阪朝日新聞社は、当時世間で広まっていた「野球は学生の本分を忘れさせ、青少年を堕落させる」という野球害毒論を否定し、「野球によって青少年を正しくたくましく育てる」という教育的な側面から大会を開催した。
一方で、選抜甲子園は大阪毎日新聞が新聞の販売拡張と夏の甲子園大会と大阪朝日新聞社への対抗意識から企画されたと言われる。(出典:江刺・小椋(1994)「高校野球の社会学」世界思想社,195頁)
この2つの新聞社は、当時、関西で新聞の発行部数の1位2位を争う新聞社で、会社の実力が拮抗するライバル会社であった。
当時、スポーツといえば武道や身体教練など体育が中心であった日本において、遊戯スポーツとして全国に普及した野球を題材に、これまで行われたことのなかった全国大会を開催することで新聞発行部数を伸ばそうとしたのである。
甲子園大会はよく、“ひたむきなプレー”や“汗と涙の物語”など青少年のひたむきなプレーに感動をよんだり、子どもたちの「教育の場」としての甲子園が話題に上がったりが大会を行う目的とされるが、その始まりはマスメディアの広報イベントであり、マスメディアと甲子園球場を中心とした沿線づくりをしたい鉄道会社のタイアップイベントであった。
選抜甲子園は、このイベントの色を濃く残す大会なのである。
夏の甲子園大会は、もともと全国大会として始まったことから、現在でも高校部活動の全国大会の地位にいる。一方で、選抜甲子園は、開催元が全国の高校を選抜し大会を開催するものである。
選抜甲子園出場校の選抜方法は?
以前は、主催元である大阪毎日新聞社が出場校を選抜し、現在は、出場校選抜委員会が選抜している。
その基準は、「過去1年間の試合成績及びその他の理由によってその地方において最優秀チームと一般に認められたものを主催者が選ぶ」が主な内容だった。(出典:江刺・小椋(1994),195頁)
出場するチーム数の拡大や通例ができてきたことによって、現在は少し異なるかもしれない。
一般的に最重要視されているのは、選抜甲子園大会の前年に行われる秋季大会の成績だと思われる。
しかし、今回の騒動をみると、必ずしも秋季大会の成績で決定されるわけではなく、その他の大会の成績や主催者の思惑などが複雑に絡み合って決定されるのであろう。
今回、聖隷クリストファー高校ではなく、大垣日大が選抜された理由は、日本高等学校野球連盟東海地区の鬼嶋一司選抜選考委員長が次のように説明している。
「聖隷クリストファーは頭とハートを使う高校生らしい野球で、東海大会の2回戦、準決勝は見事な逆転劇だった。
個人の力量に勝る大垣日大か、粘り強さの聖隷クリストファーかで賛否が分かれたが、投打に勝る大垣日大を推薦校とした。
大垣日大は前評判の高かった静岡高校の吉田投手を打ち崩した連打は見事だった。2回戦では、優勝候補の一角だった愛知1位の享栄高校とレベルの高い見ごたえのある戦いを見せた。」
この説明をみると、大垣日大は秋季大会に限らず投打の実力を見せてきたこと、話題性のある高校に勝っていたことが選抜理由として挙げられている。
一方で、聖隷クリストファーの秋季大会での活躍も称賛している。
つまり、秋季大会の結果でみると聖隷クリストファーだが、過去1年間の成績を考慮したこと、そしてより話題性のある大垣日大を選抜したとのことが読み取れる。(両校の過去1年間の成績を参照したわけではないが。)
古くからの選抜の基準に当てはめると、今回大垣日大が選抜された理由はおかしいことではない。
しかし、聖隷クリストファーが大垣日大に投打で劣るといった証拠はどこにもなく、選抜者の主観であり、高校の知名度や話題性、歴史なども関係しているのではないかと勘繰ってしまう。
今回、聖隷クリストファーが落選したことがここまで大きな問題となった理由として、次のことが挙げられる。
第一に、これまで、秋季大会の成績で大会出場校がほぼ決定していたにもかかわらず、今回はそれに逆行する結果となったからである。
もしこれまでも、秋季大会の成績にこだわらない選抜方法であったらここまで問題となっていなかったであろう。
第二に、選抜委員会の大垣日大を選抜した理由が曖昧だったからだろう。
先ほども述べたが、大垣日大が聖隷クリストファーに投打で勝る明確な根拠は示されていない。
むしろ、秋期東海大会では、大垣日大が10失点した相手に聖隷クリストファーは6失点だったことを考えると、むしろその反対なのではないかと考えてしまう。
そもそも、高校生の実力では、その試合その試合で結果は大きく異なるのであるから、地区大会に出場する高校の投打の優劣はつけがたい。
このため、単純に「大垣日大のほうが投打に勝るから」という選抜理由では野球関係者は納得しないからこういった騒動にまで発展したのであろう。どちらの高校も素晴らしい実力を備えていると思う。
いずれにしても、真相は選抜した当事者にしか分からない。
しかし、現代において高校野球は高校生の部活動でも代表的な部活動であり、社会の注目度も高い。甲子園大会が国民的行事としてこれからも文化に根ざすためには、高校を選抜する過程を公表したり、時代に沿った改革を実施したりしていく必要があるのかもしれない。
野球は歴史が長いこともあり、良くも悪くも閉鎖的な一面がある。投球制限や女子野球の全国大会が甲子園で行われた今だからこそ改革する絶好の機会なのかもしれない。
執筆者:南方隆太